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Ⅰ. 会社設立まで 1975~1982年
スタート
1975年にロンドンを中心にヨーロッパ各国でテニスの理論や指導方法を見聞し習得するためのテニス留学を終えて帰国した佐藤政廣が、当時の大阪府テニス協会副会長であった田村豊三郎氏から、大阪南部のテニス開発の依頼を受けて活動したことから木曜会はスタートした。主にジュニアへのテニス指導を中心に活動を行った。
当初に限定した南部地域だけでなく、大阪府、奈良県、京都府、兵庫県のトップジュニア達が集った。当時は、今日のような民間クラブの数は少なく、ジュニア育成に力を入れていたのは、女子では岡本久美子選手が所属していた帝塚山テニスクラブのみであり、兵庫県の神戸クラブの活躍には他府県のテニス関係者から憧れであった。
車いすテニスとの出会い
ウインブルドンで車いすの人たちがテニスを観戦していた様子を見て、このような人たちがテニスができればスポーツの楽しさも広がると思ったのが、後年の車いすテニスの紹介のきっかけとなった。
木曜会の名称由来
1977年には、大阪府松原市のシャープスポーツセンターのテニスコートを阿部朔治氏の理解の下、毎週木曜日のナイターコートを提供いただき、本格的な活動に入った。木曜会の名称の由来はここにある。当時、最大メンバー数は45名であった。大阪府におけるジュニアテニス選手権大会でのトップを彼らがその座を占めていた。この頃から、我が国では第二次テニスブームが発生して行った。
1978年の夏、ロスアンゼルスの郊外で車いすの人が一人でボールを打っている姿を車窓から見た。この年の11月に大阪のテニスのジュニアや指導者にこの様子を紹介した。
求めていたテニス理論との出会い 健常者・障がい者が共にダブルスを組む
1980年は木曜会にとって画期的な時期となった。ロサンゼルス郊外のVic Braden Tennis Collegeにおいて、バイオメカニクスを基本にしたテニス理論にめぐり合った。現在のトップスピンの主流を作り出したテニスキャンプである。ここでの経験はその後のテニスコーチングの原点、尺度となり今日のテニスレッスンに十分と活かされている。
1982年に車いすテニスに本格的な出会。一人でも多くの人達にテニスの楽しさを味わってもらいたい、その企画を朝日放送と朝日新聞大阪厚生文化事業団に持ちかけ協力と支援を得て、83年に「車いすテニスレッスン」を開催し、その翌年には「二人でヒーローに」をスローガンとしたニューミックスダブルステニス大会を大阪の美原町で開催した。
Ⅱ.有限会社木曜会テニスプロジェクト設立 1983年4月1日
㈲木曜会テニスプロジェクトを4月1日に設立し、同時に本格的なテニスビジネスに参画した。この時には、坂井健一、福井規夫の二人が設立に加わり、今日まで活動を行ってきたのである。
1984年に、上海市に車いすテニスを紹介
日本ユニセフより表彰を受ける。
錦織 圭がトレーニングするIMG ACADEMYとの交流事業
1985年に、フロリダのNick Bollettieri Tennis Acaemyでテニスの研修を重ね、帰国後、さらに国際大会を目指すジュニア指導を本格化した。
神戸市へのテニス事業参画
1990年、六甲アイランドテニススクエア/スクールの委託を神戸市開発管理事業団から受け、大きな「夢」を花咲かすべく活動を続けている。
1992年、日本テニス協会より、佐藤が「タレント発掘チーム」として、ベルギー、イギリス、スペイン、スエーデン等のテニス強国を視察し、各国の今日の隆盛を予測し、我が国の指導方法にも影響を与えた。
1993年、「神戸アーバンリゾートフェア」に『わが街の修理工房』を出展してイベントに協力し表彰を受けた。
1994年には、西神南テニスガーデン/スクールの委託運営を受けて今日まで活動を続けている。
大震災に遭遇するもスクールの皆さんの笑顔に奮起させられた
1995年1月17日、阪神淡路大震災に遭遇し、六甲アイランドテニススクエア/スクールは一年四ヶ月のスクール閉鎖の後に奇跡的に事業を復活できた。ここから、木曜会は新生し、神戸市での事業専念に再開した。神戸市以外のテニススクールとの契約を終了させた。
1996年、大分県杵築市の「住吉浜リゾートパーク/スクール」をスタートさせた。国東半島の山と海の美しい環境に恵まれた地である。
坂井健一が、日本テニス協会主催の「コーチャーズカンファレンス」でコーディネーショントレーニングの画期的な紹介を行いトップコーチとしてデビューした。
テニス理論のさらなる追求
1999年 再度、ベルギーを訪問し、テニスが完熟したことを確認して帰国した。
2001年 レッスンの集大成として『Basic Tennis Guide』をスクール生徒全員に配布した。
2003年4月 神戸市「しあわせの村テニススクール」運営開始 2006年 ナイター施設設置し神戸市に寄付
2003年5月 六甲アイランドテニススクールインドアーコートを設置した。
大震災時の教訓から避難場所として、また、紫外線対策・温暖化対策・コーチの労働環境改善として
2004年4月 いぶきの森テニススクールにインドアーコートを設置した。
2006年3月 住吉浜リゾートパークにスポーツアカデミーを設立し運営する。
Ⅲ. 有限会社 Mokuyoukai Project & Group に社名変更
2007年6月 大分市/日出ニュータウンテニススクール開設
茨城県・つくば市、同峰公園テニススクールを監修
海外交流によるテニス技術支援
2007年 上海市テニスマーケット視察開始
人命尊重 AEDの設置
2008年4月 ㈲Mokuyoukai Project & Groupの全テニススクールにAED配置
2010/1/4 六甲アイランドテニススクールでの新年テニス大会で70歳の男性が心肺停止したが設置したAEDにより蘇生した。
表彰歴
日本ユニセフ協会より表彰を受ける。

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